思い通りにいかないことばかり

自分らしいライフスタイルのつくり方

先日、いすみ鉄道大多喜駅に行きました。線路を見るとなぜか写真を取りたくなります。 ローカル駅の不思議な魅力です。

さて、春になって暖かくなるとやってくる草刈りの季節。ここ最近、無情にもどんどん伸びてきました。あぁ、草刈りをしないと。

日々草の様子を見ていると思うことがあります。

それは、人がどんなにあがいて何かしようとしても自然は関係なく変わっていくということ。都市に住んでいる時には気づかなかったんですが、人の手ではどうしようもないことが、こんなにも溢れていたんだということでした。

振り返ってみると10代から20代の頃、いかに自分主導で物事を進めていくかを考えてばかりでした。効率よく物事を進めて行くためには何が良いか常に考えていた感じ。夏休みの宿題もしっかり計画を立ててやっていたぐらい。どんなにやることが多くてもto doリストを作って全てのタスクをこなすことを一番に考えていました。今でいう「時短」「コスパ」「タイパ」が最優先だったんです。

自分で決めたタスクがすべてできると、ものすごい達成感だったので、より工夫して、どんどんとできることを増やしていきました。できることが増えると単純にうれしかった。任される仕事も増えていくし、日々の充実感も増していくし、会社務めをしていた時は、本当に日々そんなことをばかりを考えていた気がします。

でもふと思ったんです。これに終わりはないのでは?

できることが増える→できるとうれしいけれど、できないことにストレス→予想外のことが発生すると思い通りに進まなくてイライラ。

年を重ねるほどにそんな思いが増えていったんです。おそらく余裕がなくなってきたんでしょうね。そこから私は色々考えて、結果的に「地方移住」をしました。

最近、ある人と話をしていたら「若い世代で、タイパ、コスパ重視の人ほど、人付き合いが苦手だったり、つまづいてしまった時に前に進めなくなっている人が多いのでは」と話題になりました。学生時代は優秀だと言われていた人ほど、社会に出てその傾向があると。なまじっか地頭がよくて器用になんでもこなしてしまう真面目な人にありがちらしい。

最短の距離で周りの大多数が納得するような答えを出すことに長けているのだけど、ひとつうまくいかないと、そこからガラガラと壊れていってしまうのだとか。

思い通りにいくことばかりではないのに、過去の経験がそうしてしまうんでしょうね。子どものころに「予想外のできごとにどう対応するのか」とか「どうしようもない自然の摂理」とか「知識だけではない、肌で感じる多様性」とか、触れておくことが実は大事だったのかもしれません。よくよく聞くとつまづいてしまう人ほど、真面目に勉強をしてきたがんばりやさんが多いよう。自分の経験を振り返ってみてもそう思います。

ネットとかゲームとか、確かに効率よく『答え』には行き着けるけど、その経験ばかりを積んでしまうと大人になって仇になることもあるのかも。私自身も心当たりがありすぎで反省。

長らく染み付いてしまった習慣や考え方を変えるのは本当に大変だけど、それに気づいて少しでも動けばきっと変わっていける。時間はかかるけれど、私のように、変わるきっかけがあるといいなと思います。

ちなみに、私は、今ではすっかりいろんなことに「ま、いいか」と思えるようになりました。

「今日1日で何個のタスクができたか」ではなくて、「大事にしたいことを今日もできたか」と日々考えて、のんびりでも充実した暮らしをしています。(たまに都心のスピード感に焦るけど。でも、私は私の選んだ選択に胸を張っていたいと思うのです)

「大切な人と食卓を囲んで、今日もいい1日だったと眠りたい」

難しいことを考えなくたって、これで十分じゃないと思ってしまうのは、年を重ねたからもあるかもしれないですね。

そんなことを思って、私は今日も草刈りをするのでした。

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