ゆとり、余裕、あそび。

豊かさって何だろう

ある晴れた日に、運転をしていたらちょっと変わった雲を見つけました。

家に着いてからとっても気になって思わずパチリ。なんだか天にのぼっていく龍? はたまたトカゲ? 曇っていろんな姿を見せてくれて楽しいものです。

このあたりは高い建物もなければ、山もないので本当に空が広い。夜になると月も星もきれいだし、ただ空を見上げているだけでいろんな発見があります。

でも、忙しさに追われていると、そんな時間も忘れてしまいますよね。

実は、都会にいた頃、月の満ち欠けにも気づくことができませんでした。こんなにも毎日当たり前にあることなのにね。毎日、見ている景色でもなんにも気付けない。

不思議なもので、興味がないと本当に気づかないのです。意識が向かず、知らず知らずに視野が狭くなっている。

かつて、星空の家の住人さんに「庭にゆずの木ってありましたっけ?」と、聞かれた時は、本当に驚いたな。あんなにもたわわに実っているのに、毎日忙しくしていて寝に帰ってきていた彼には見えなかったらしい。

でも、これって、人間の特性らしいです。ちょうど、最近読んだ本に書いてありました。「脳はみたいものしか見ない」と。脳は自分の都合のいいものしか見ようとしない。非常に主観的で不自由な性質があるんだとか。

だからこそ、新しいものを認識するときには、それを受け入れるスペースが必要になるのだそう。

ゆとり、余裕、あそび。それがなければ新しい刺激を受け取れないらしい。

それって、仕事でも同じで。いつも何かに追われていると、それをこなすことに精一杯で、新しい事を受け入れられなくなってしまう。変化を恐れ、同じやり方を突き通そうとしてしまう。結果、時代に取り残される、なんてことになる。

そういえば先日、でかけた先で、偶然にも10年来の友人に久しぶりに再会しました。

お互いに共通の知人も多いし、SNSで近況は簡単に知ることができるけれど、会うの本当に久しぶり。

でかけた先で、集中して仕事をしようとわざわざ家を出てきたのだけど、久しぶりに会えたうれしさで、今お互いにやっていることや、悩み、これからのことなど、他愛のないことだけど、話尽きず、思わず長話をしてしまいました。

結局仕事は何一つできなかったけれど、彼女と話をした時間は何ものにも代え難い、とてもいい時間になりました。

あの時、もし、私に余裕がなくて仕事をすることを優先していたら、きっとそんな気づきもないままだったろうな。目の前のことよりもパソコンの画面の向こうの仕事を優先していたら、この晴れやかな気持ちも、なんだか前に進んだ感覚もきっとない。

いつも思うことだけど、予想外のことが起こっても、それを受け止めるだけけの余裕を持っていたいと思うのです。新しいことを受け入れるためのスペースをいつも持っていたい。

偶然の出会いから生まれる新しい刺激。その刺激が与える今後の影響を考えると、その偶然を大事にしたいよね。

今は、オンラインで便利さはどんどんと加速していくけれど、ちょっとした立ち話とか、雑談がなくなったことで、失われてしまったこともきっとある。

オンラインともリアルとも、上手に付き合っていく術が、きっと今後必要になっていくような気がしてなりません。

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