繋いで継いで、使い続ける。

ローカルな仕事から、今とこれからを見る。

2月になりました。

今日、去年のちょうど今頃の写真が出てきました。どうやら梅が満開だった様子。今年はまだまだ咲かないな。春はまだ先みたいです。通りで寒い訳だ。

先日、ある方に声をかけて頂き、空き家を片付けをしているという家におじゃましました。本があるので引き取ってほしいそう。「い鉄ブックス」で活用できたら、と、わざわざ連絡をくださったのです。こんな時に思い出していただけてうれしいかぎりです。

私たちが現場に行くと、すでに回収業者さんがそうじに来ていました。

掃除、といってもとにかく家の中を空にするために、ありとあらゆるものをトラックに積み込んでいる状態。荷物が放置された状態では当然、買い手も借りても見つからない。荷物はきれいさっぱり片付けてください、というのは一般的なのでよくある風景ではあります。

でも、トラックいっぱいに積まれた荷物をみて、なんだか胸が痛い。もったいない、と思ってしまったのです。

まだまだ使えるものだってあったのに。

もちろん「他人のもの」をそのまま使うことはできないし、処分したほうがいいものも当然ある。

でも、同じ処分をするならば、「ありがとう」と感謝を込めてしたいと、思ってしまうのです。

都会に住んでいたころは、「ゴミを捨てる=袋につめてゴミステーションに出す」でした。子どもの頃からそうだったし、むしろそれが当たり前だと思っていた。粗大ごみだって、依頼をして回収に来てもらったら捨てられる。

でも、移住してすぐ除湿機が壊れてしまって、まだまだなれない土地でどうしたらいいかわからず、市内にクリーンセンターがあることを知り、車もあるしと、自分で持ち込んだ時に、意識ががらりと変わってしまったのです。

「あ、壊れた家電ですね。敷地入って右奥にもっていってください」と、言われて行った先。なんと、壊れた家電が山積み。あ、これ全部ゴミなのか。その現場を見た時の衝撃といったら、そりゃもう。

なんでも手軽に便利になって、すぐにでも買い替えられるようになって、壊れたら捨てるが当たり前になっていたけれど、そういえば、最終的なゴミの行き場知らなかったなぁ。

こんなにも寂しい場所に行き着いてしまうのかと思うのと同時に燃やすのかな? 土に埋めるのかな? バラすのか? などなど「その先」が気になってしまいました。

モノからゴミになってしまうことを肌で感じてしまったのです。

その後、ご縁があっていくつかの空き家をお借りすることになって。一番最初の大きな壁は「片付け」なのですが、とにかく、古い家ほどものが多い。多くのモノを片付けるのはやっぱり大変です。

でも、長く大事に使われていたものも多い。今ではもう、手に入らない貴重なものも当然ある。本当に捨てていいのか。「あの場所」へ持っていっていのか。気がつくと、一つひとつ考えるようになっていました。

モノがゴミになるのか、新しく活かされるかどうかは、結局は人の手と思いなんですね。

手間はかかるけど。人の手と思いが入れば変わることもたくさんある。

もちろん、全てを救えるわけではないけれど、必要な場所で新しいかたちで活用できるといいな、と、いくつもの現場を見ていく中で強く思うようになりました。

そんな中で、本はい鉄ブックスで活用できるようになり、着物や服などは「マチノイト」で相談ができるようになりました。着物が素敵なワンピースになったり、着なくなった服がバッグになったり、お裁縫の世界っておもしろい!

いすみ古材研究所は、その名の通り、古材を新しい形で活用しようとしている。

人の思いと手を通して、ただ捨てられるだけだったものが、新しいモノに変わっていく。家もモノも、もちろん人も、いつか必ず寿命は来るけれど、最後はちゃんと「ありがとう」と言って手放せるように、ひとつひとつのモノと向きあっていけないものか。最近はそんなことを思います。

新しい家主を迎えた星空と長屋門の家。2年前に大家さんと一緒に片付けをして「使ってくれる人がいたら」と、残してくれた品々は、今、新しい家族と一緒に新しい時間を刻み始めました。繋いで継いで、使い続ける。その思い、広げていきたいな。

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