『留学』の終わりに待っていたもの

ローカルライフスタイル

昨日、たまたま手にとって読み出した本。

長年雑誌編者をしていた著者が仕事をやめてアメリカに旅立ち、そこでの体験をまとめたエッセイ。

その中で、「どうしてアメリカに来たの?」と聞かれるシーン。著者は『スタグネーション』と、覚えたての単語で答えたんだとか。その文章を読んでいて、はたと、そういえば、私にもそんなことがあったなぁと、思い出しました。

2004年の春。私は大学4年生になりました。

大学3年生の秋から始めた就職活動。横並びに一斉にスタートラインにたって、就職サイトをみたり、本を読んだり、遅れをとってはいけないと、必死に周りについていこうとしたっけ。そう、受験の時みたいに。

今思うとマニュアルをそっくりそののまま実行に移すようなタイプで。そりゃ、当然思うように就職が決まらない。おかしいなぁ、今までだったらこんなに苦労せず、クリアできていたのにな。そんなことを思いながらどんどんと追い詰められて、落ち込む日々。辛くてたまらない。

そんな時、ふと思ったのが『留学』でした。そういえば、仲の良かった先輩がカナダに留学してたっけ。

そうだ、私、海外に行きたかったんだ! よし、一旦、就職活動は忘れよう! 

卒論もなかったし、単位も全てとり終わっている。後期は学校に行く必要はない。行くなら今だ!と。まだまだ暑さの残る10月の半ば、私はカナダのバンクーバーに旅立ったのでした。 そう、 はい、現実逃避です。

旅行ではなく、海外で暮らす。憧れていた暮らし。不安もあったけれど、語学学校の友人たちと、本当に毎日楽しく過ごしていました。

期限は、ビザとバイトでためた資金の関係で、2ヶ月。本当はもっと居たかったのだけど。日に日に帰国の日が近づくのが本当に辛かったな。日本に帰ってもまたすぐに戻ってきたい、と思ったぐらい。帰国の日に、帰りたくない、と大泣きして飛行機に乗ったことをよく覚えています。

でも、いざ、帰国してしまうと、はた、と、あれは夢だったのか?と、思ってしまうぐらい、自分の中ではふわっとしたものになってしまったのです。

もちろん、英語の勉強もしたし、言葉がうまく使えない中でどうするかとか、異国の文化に触れたりとか、いろいろな点でものすごく今の私の影響を与えているのだけど、いざ、現実に直面すると、あの2ヶ月は、ものすごくフワフワしていたな、と。
さ、就職どうするの?と、考えると、必死に浮いてしまった足を地面に付けるのに必死でした。

運良く、卒業前に就職は決まったけれど、就職してからは怒涛の日々。あっという間に月日は流れて、「いつかバンクーバーに帰りたい」と思っていた気持ちもどこへやら。社会に出て、現実を知れば知るほど、戻ったところであの楽しかった日々が戻って来るわけではないこともわかってしまいました。

でも28歳の時に、ふと、これからの自分の人生を改めて考えて、「1年留学したつもりでいなか暮らしをしよう」と、移住を決めて。また海外に行くでもよかったのだけど、まだやったことないことをと思ったら、地方移住だったんですね。

でも、留学の終わりに待っているものが現実だと知っていたから、今度はちゃんと、地に足をつけようと思っていました。非日常ではなくてあくまで日常と向き合うこと。期間限定ではなくて、長い目で見て考えていけることをちゃんと考えようと。

移住して2年が経った時に、こんなことを書いていました。もはや、この地で暮らしていくことは、私にとっては『留学』ではなくなってたんですね。

大学生が終わる最後の年、
たった2ヶ月だったけれど、海外暮らしを経験した私は、「留学」の終わりに待っているものを知り、
東京で働くことを経験して、理想と現実のギャップをちょっとだけ理解した。
「なんとなく」で来てはうまくいかないであろうことを、最初からわかっていたのかもしれません。
だからこそ、無理せず、自分らしく、楽しみながら向かってくるものをちゃんと受け止めながら過ごしていけたのかもしれません。

たった2年。されど、2年。

私にとって大きな大きなこの2年間。

最初の区切りとしていた2年は終わるけれど、
私は、今までもこれからも、
この地に根を張り、大きく葉を広げていきたいと思います。

さ、新しい3年目、一歩一歩焦らず進んでいこうと思います。

移住をして2年が経ちました。(2013-02-19)

もはや、10年もここにいたら、根もしっかり張ってしまうよね。今でも毎日ワクワクドキドキ楽しいこともたくさんあるけれど、フワフワしなくなったのは、これが日常になったからなのかな。

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